一週間のつぶやき

・学びのこころえ
一歩先に出てしまうこと。徹頭徹尾 一歩先へ先へと考えて何ごとにもぶつかって、一歩先にでてしまうこと。大胆、勇敢、猛烈、捨て身になって飛びかかっていくことです。


・人は「暇になったら・・・」と誰れもが考える。しかし暇になって成就したというためしはないのだよ
「動中の工夫、静中に優ること百千万倍」との喩えあり。
終日黙々と正念(しょうねん)相続して活動、努力体験を得る。そこから思わず浮かんだ妙案こそが生きてくる。間断なく流れる谷川の水は常に清らかである。間断なく努めのなかに真実、まことの実が育つ。学びの尊さは、日々にあり、まとめて一石二鳥とはいかぬもの。絶対の境地に我が身をおとしむ、はからい。でありし・・・・。こと


・「観想をなす時」という言葉が目に入る。いったいなんだと思いしや「内観の法」のことらしい。その観想をなす時「心に思うことが現実となり・・・鼻はたちまち世にもまれな香気をかぐ。からだはにわかに柔らかい感触をうける・・・」この文中の「世にもまれなる香気」とある。
私も世にもまれなる香気をかいだ。イスタンブール滞在一日目の朝であった。モスクから流れるコーランの聖歌を耳にする。その瞬間、この世にもまれなる香気をかいで目が覚めたのである。不思議な情景であったが、なんとも至福であった。
私は臨床中でも、かぐわしい香りをかぐことが多い。患者、患者によってその香りが変化する。私はお香を焚くが、私が使用しているお香とはまるで違ふ香りである。この世にもまれなる香気は、心に思うところが現実になり・・・とある。私は内観のなんたるかは詳しく知らぬが、無意識に少しは、その妙を現実の中で味わえているようだ。


・好色
精虫といふ時を越え、自分をとらえてみる。一億数千匹の精虫、その一番元気がいい一匹の精虫が私である。
たいした元気だ。
一番生命力があって、快を知る精虫。
この世に存在する私とは快が好きで好きでたまらない、スケベ坊の存在だ。
上品、中品、下品の問題じゃない。無条件に無類なき生命力なのだ。
好きだってことは、自分が好きで人間が好きなのだ。それだけ色気、好奇心があるってことだ。
そのスケベーな生きものをどうコントロールし調和するかだ。
この世と、目に見えないあの世と、どうよりあいをつけていくかである。
このスケベーな生きものにもルールがある。
不可視な世界とつながって調和すること。
それが個々の魅力、人間としてのつながりである。
このスケベさがないと、心身一つに納まりきれない。
このスケベさは、品性、その人らしさなのだ。わきまえのあるスケベ心である。
かっこいいのもこのスケベさである。品性のスケベさも創造力である。
食欲もこのスケベ心がないと、元気食とはならない。



・昨日、九州のポン友から連絡あり。よォー。
東京に出てきているんだろう、仕事も済ませて身軽いんだろうが、俺は手が抜けない。電話だけですまないな、と声をかける。
ポン友「明朝、かみさんを羽田に迎えて秋田の温泉に向かうんだ」
ほーぉ。いいことだ。たまには奥さんとしっとり仲良く濡れてこいよ。
ポン友「しっとりと肌をあわせてかみさんを歓ばせてあげたいけどネ、もうあそこが機能せんのよ」
なに、おまえさん、もうその年で立たぬのか。なんという生き方しとるのよ
ポン友「あやしい薬使っても機能せんのよ」
と云う。そういう寛はどうなのよ
用事がある時はちゃんと返事してくれているよ。
ポン友「ヘェ、まだ現役なのか、おまえ、恐れ入るよ。こっちの仲間のほとんどが、もうコールせんのよ。おまえのほうが異常だな」
マァ、立てるか立てないか立たぬかは、どうでもよいが、生活に疲れるような人生の使い方はするもんじゃないな・・。おつかれさまです。
疲れるような元気をつかうべからずです。


・操体法のベーシック講習を受けている六十何歳かの男性。快を味わえるも、わからねェ、わからねェと口走る。この男性は死の瞬間までも自己否定し続けていくらしい。人生の苦美(にがみよさ)、その苦楽を知りつつも、きもちよさがわからないと、嘘ぶく。
無知は分離。自画なる心も矛盾、迷いを生ずる、である。わからねェ、知らねェは自己に対するいいわけである。いっそのことわからねェでいいヨ。
しかし快は、おまえさんのためだけにある訳じゃない。
いのちにあるのだ。おまえさんごときがしらを切っても痛くもかゆくもない。死には痛みがあるだろう、というその苦から自我をほどき、ありがとうございますと声にして、生にして味わえぬエクスタシーを得て昇天すればよし、絶対なることを受け入れなければさらなる自我は苦しい。
しかしジタバタしてもがいても、来るものは来るのだよ。いさぎよく自我を静めよ。

Dr.Keizo Hashimoto


 

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新年のことば 2010

「治療所の名称」


私は開業する当時、師匠である橋本敬三先生から、屋号はどうする、何か考えはあるかと聞かれ、この名称にしたいと言うと、すかさづ「なかなかいい。一生大切にしなさい」と言って下さった。

当時23歳だった私は師の指示によって「人体構造運動力学研究所」の名称を屋号として開業を果たした。この看板をみて来院してくれる患者は、まづいなかった。私もそれはわかりきっていたことではあったが、「大切にしなさい」と言われた師の言葉を、今も大切に守りつづけている。
看板として全く意味も機能もなさない、この名称に、なぜ師匠はこれでいい、一生大切にしなさい、と言い残されたのか。こういうことなのか、あヽいうことなのかと毎年自分に問いかけている。

名称で治る訳でもないのだから、「固有名詞」などはどうでもいいことなのだ。人体構造運動力学とは、からだに快をききわける、そのききわけさせ方の原点なのだ。ここからスタートして今ここに進化をとげた学びの場がある。

操体の臨床は8の数字と深くかかわりをもっている。からだの動きも8つ、分析も8つ、連動も8、快の診断法も8通り、8,8,8,8の連鎖数で、操体の臨床が成り立っている。

私の治療所の人体の屋号も8つの字数が関与する不思議なご縁で成り立っている。不思議なご縁には、なにか目的があり、意志がある、ということである。

人体構造運動力学研究所 所長
東京操体フォーラム 理事長
三浦 寛

HIroshi Miura

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新年のことば 2009

「治療所の名称」


私は開業する当時、師匠である橋本敬三先生から、屋号はどうする、何か考えはあるかと聞かれ、この名称にしたいと言うと、
すかさづ「なかなかいい。一生大切にしなさい」と言って下さった。

当時23歳だった私は師の指示によって「人体構造運動力学研究所」の名称を屋号として開業を果たした。この看板をみて来院してくれる患者は、まづいなかった。私もそれはわかりきっていたことではあったが、「大切にしなさい」と言われた師の言葉を、今も大切に守りつづけている。
看板として全く意味も機能もなさない、この名称に、なぜ師匠はこれでいい、一生大切にしなさい、と言い残されたのか。こういうことなのか、あヽいうことなのかと毎年自分に問いかけている。

名称で治る訳でもないのだから、「固有名詞」などはどうでもいいことなのだ。人体構造運動力学とは、からだに快をききわける、
そのききわけさせ方の原点なのだ。ここからスタートして今ここに進化をとげた学びの場がある。
操体の臨床は8の数字と深くかかわりをもっている。からだの動きも8つ、分析も8つ、連動も8、快の診断法も8通り、8,8,8,8の連鎖数で、操体の臨床が成り立っている。
私の治療所の人体の屋号も8つの字数が関与する不思議なご縁で成り立っている。不思議なご縁には、なにか目的があり、
意志がある、ということである。

人体構造運動力学研究所 所長 三浦寛

橋本敬三先生の墓前にて

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風鈴随想

 

「医道の日本」2008年8月号掲載

久しぶりに家族全員が揃った。末の娘が「お父さん、皆んなが揃っているから夕食ね、お寿司をご馳走してくれる」と、せがむ。

家族五人がカウンターに腰掛ける。「父さんの財布は気にしなくていいからな。好きなもの、腹一杯食べていいぞ。遠慮するなよ」と、太っ腹なところをみせる。末娘は「エヘへへ シメシメ」と目が笑っている。箱形のカウンターの中央に、生けスが置いてあって、

魚博士の私は、水槽で泳ぐ魚種を全部知っている。アジ、スズキ、ヒラメ、アイナメ、そしてアワビも水槽に張りついている。その中の、サバらしき魚が目にとまる。

「板さん、生けスに、サバ入ってる」と声をかけると、いるよと声が飛んでくる。

この生けスの魚ね、これ、全部養殖なの?

「そうだよ。サバも含めて全部養殖もんだよ」

へェ、サバも養殖してんだ

「天然モノは入れられないよ、そりゃー、養殖モノとはネ比べようがないけど、ほどほどにうまくてほどほどの単価でとなると、養殖モノになっちゃうネー。」

ところで板さん、養殖モノのエサはどうなってんの?やはり養殖モンのエサを使ってんの?

「そうだよ、養殖している魚のほとんどは、全部同じ養殖モンのエサを食わしてんだよ」

それじゃ、イワシだ、アジだ、マグロだ、と注文しても、結局全てネタの味は同じになっちゃうってことだネ。

「ウンマァ、そうなっちゃうわネ。そこんとこ、お客に、さとられないように握るのも職人の技だわネ。ワサビのつけ具合とか、シャリ加減とか、塩、しょうゆ加減、ツマ加減とかね・・・・。そうやって、うまくて安い寿司を提供している訳だよ!天然モン食べたきゃ、どうしたって時価になっちゃうヨ。

それでもね、今のお客は時価でも、天然ものには目がないからね。そりゃ天然ものと比較したら、養殖モンが気の毒だよ。身の締まりといい、味といい、全然ちがうもの・・・・。」

 

操体法も、この二極化がはっきりしてきた。

従来どおり、操者の指示に従い、患者に楽を選択させるのか。からだの要求感覚に従い、快を選択するのか、である。この問いかけは、からだが一番よろこぶ事を満たしてあげるか、否かの選択にかかわってくる。からだにとって、最小エネルギーで最大の効果をもたらすもの、それは快適感覚そのものであり、決して楽感ではないことである。

楽を選択するか、快を選択するか?寿司と違うところは、どちらも単価も時価もなく無条件で味わえるってことである。

楽か快かの中身の問題は、からだが楽を要求してくるのか、快を要求してくるか、である。

(2008年8月)

Kosyu
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新年のことば 2008年

「色紙 おみくじ」


操体を学ぶ人達が、毎年春と秋に全国から集まってきます。私は、その参加者に一枚色紙を添えて、感謝にかえさせていただいています。色紙の、言葉も一枚、一枚みな違います。多いときには一度に七十枚、八十枚書きます。今まで何百枚と書き添えてきました。この色紙が、誰れの手元に届くのか、誰れに読んでもらえるのかは全くわかりません。色紙そのものに意志があるわけでもないだろうに・・と思うのに、どうも行きたい人のところに届いているようなのです。目をとおしてくれた人達から、今の私にピッタリ・私のために書いて下さったのか、という感想が寄せられてきます。不思議な力があるものですね。
色紙に添えた言葉そのものに力があり、意志があるから願う人の手元に届くのでしょうか。言葉は力なり。意志の波動なり。言葉は人を選び意志をもった生きものなのです。

(医道の日本 2008年1月号)
 

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新年のことば2007

毎年11月に入ると、「新年のことば」の執筆依頼が舞い込む。その見慣れた封筒に触れると、今年ももうこんな時節なのだ、と
気づかされるのだ。私は昭和23年生まれ、世に言われる団塊の世代である。昭和22年、23年、24年。この世代のサラリーマンは
随時退職を迎え、その数は800万人とも言われる。

私は18歳でこの道に入り、他の職種を経験したことのない人間である。生涯現役を目指し、励んでいる。第2の人生も、老後の
人生も、考えに及ばない。私の師は85歳まで医師としての現役を通し、90歳まで臨床の場を見守り続けてこられた。私は、
その生きる姿勢を見よう見まねに、今学び続けている。

師が生前言われた言葉を思い出す。
「わしの人生はサーカスの綱渡り、とにかく落ちなきゃいいんだよ」」

この年齢を迎えると、つくづく「まにあっていればいいんだ」という生き方がいかに大切かということが身につまされる。
この10年を振り返ってみると、かなりのスピードでやりたいことをやれるときにやってきた、という想いがある。
その結果、肉体的な負の部分も背負い、自己の責任において去年はそれを刈り取ってきた。それによって、これからの
命を十分にいただけることになった。感謝である。

(医道の日本 2007年1月号)

2010年8月、奈良にて北村翰男先生と

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続神代文字考

続神代文字考
橋本敬三

 一昨年の秋「神代文字」を書いて生涯への道楽への熱願を発表した。その後どなたからも反響がなく、いささか淋しかったが、かねての念願が叶って、三十六年四月末、岩手県福岡町に小保内樺之介先生を神代文字に関する、国内の研究者のグループの存在を知り、大いに意を強くした次第である。それ以来あちこちと連絡をとり、厖大な未知の世界への探りをつづけている。

 イスラエルと古代日本との関連について、この前も一寸ばかり においを嗅いだ程度のことを書いておいたが、小保内先生資料の うちで驚くべきことを知った。
 三笠宮様はヘブライ語学者であらせられる。その宮様が昭和 二十八年一月のジャパン・タイムズ紙上
で、三種の神器の八咫の鏡の裏面に、ヘブル文字でエイエ、アシェル、エイチと彫刻してあると、ご発言になったというのである。
 ジャパン・タイムズの人に調べてもらったら、二十八年一月の記事にはないという。
 最近式場兄が送ってくれた「富士戒壇建立1第七書」という謎のような本の八十一ページに「八咫鏡(やたのかがみ)の裏に刻された文字は、エホバの神がモーゼに言った言葉(我れは有りて在るもの也)」云々と書いてある。
 この言葉は、モーゼがシナイ山で燃ゆる柴の◯の中で、初めて神に出遇い、同族をエジプトの奴隷の境涯
から救出すべき神命をうけたときに、あなたのお名前を同胞になんと告げたらよろしいか、と質問したとき
の神の反答の言葉である。

小谷部全一郎氏の「日本及び日本国民の起源」には、三種の神器の鏡は神瓶であって、マナを収蔵した純金張りの壷であるとのこと。鏡はその蓋なのであろうか。とにかく大変なことである。
-(マナとは、イスラエル全衆が四十年間アラビヤの荒野で耕作することなしに、毎朝小さなキノコのごとく、地から萌え出たパンのごとき食糧で養われた、そのもの)ー
小保内先生は歴代福岡の呑香稲荷神社の神官、学者系の方である一門から飛行機やローマ字で有名な、田中館愛橘博士が出ており同郷から、東北学院出身、アメリカに渡り彼地にて神学博士となり牧師をしていた、川守田英二氏(現駐日アメリカ大使ライシャワー博士の知己)が出ている。
 同氏の「日本ヘブル詩歌の研究」という著書があることを知った。上下二冊1000ページあまりの本で
あるが、知らざるものにとっては驚くべきことが書いてある。
 惜しい哉、氏はこの著述の後まもなく、今から数年前に亡くなったのであるが、この著書によって、日本古代史研究の中心グループに「日本民族文化協会」というのがあって、昭和三十四年から月刊「祖代」を出している。これと連絡することによって、前年かいたように耄碌して忘れていた記憶もだいぶ甦り、いろいろ確実になってきた。次次と知らないこともわかってきた。

それはこの次に書くことにして、今回は川守田博士の研究で、ヘブライ語が昔のままの生(ナマ)で日本民謡のハヤシ言葉に伝え残されていることから、西暦紀元前六、七百年前のイスラエル(ユダヤ)と、日本人皇紀元前の関係を解明した話をご紹介することにする。
 川守田氏のこの著書は「ヘブル語に堪能なる三笠宮様に献げる」と頭書されてある。
 川守田氏が生まれた岩手県北部から青森県東部にかけて「ナギアド・ヤラ」なる意味のわからない民謡がある。
氏は一九三三年来、これに心ひかれていたが、それがヘブライ語であることに気がついた。そして、その意味をしらべてみたところ、イスラエルの軍歌に相当することがわかった。
東北の一隅にだけヘブライ語が残っているはずもあるまいとて、各地の民謡をしらべだしたところ、そのハヤシ言葉がほとんど昔ながらヘブル語そのままのが残っており、その数三四○余りをみつけた、そして、その意味するところから大和朝廷とイスラエルの正統ダビデ王のつながりを手繰り出してくることになったのである。また
日本語の中に一、二○○余りのヘブル語原を発見して、これも発表している。
「ナギャド・ヤラ」は後廻しにして「伊勢音頭」から始めよう。


伊勢は津でもつ。津は伊勢でもつ。
ヨーイ ヨーイ
尾張名古屋は ヤンレ 城でもつ。
ササ ヤートコセ ヨーイナヤ
アリヤリヤ コレワイセ
コノナンデモセー
これをヘブル語で訳してみると、
○ヨーイ ヨーイ は ヤーエ ヤーエで
 おおエホバよエホバよとなる
○ヤンレはヤーエレでエホバは神なり
○ササはシャシャ汝ら喜ひ悦べ
○ヤートコセー ヤートコシエル エホバは仇敵を(海に)投げ 打給えり
○ヨーイヤナ ヤーエヨハナン=エホバは恵深くいますなれ
○アリヤリヤ アハレリヤ 我エホバを讃え奉らん
○コレワイセ コレワイシエ 彼呼び出し且つ救い給えり
○コノナンデモセー=コーノナギイド モシエ 彼は樹て給えり

 指導者モーゼをということになる。これは前に書いた映画「十戒」のクライマックスの場面である。
 モーゼによって、神命としてエジプトの地から民族の故郷カナンに向けて、子女の他、徒歩の男子だけで六十萬の大群の脱出が始まった。ときに、エジプト王は、奴隷を手放すのが惜しくなり選抜きの戦車600輌。全エジプトの戦車および騎兵集団を駆って後を追いかけさせた、
 地中海岸沿いの北上を避けて、東路紅海海岸に出て、アラビア半島からヨルダン越えにカナンに向かわんとしたイスラエル。ようやく紅海岸に到着したときに、後からエジプト全軍が追撃してきた。前は海、後には敵、進退きわまった泣き叫ぶイスラエルに対して、エホバは追撃軍とイスラエルの間に雲の柱の煙幕を張り、モーゼに命じて、杖を挙げ、紅海に向けて手を伸べさせれば、にわかに強き東風吹き来り、終夜紅海の海水を左右に吹きわけた。
 それ、今のうちにとばかり、イスラエルは両側に垣根なす海水の干ける海底を、急ぎ渡ったのであるが、百余萬の人数である。とにかく翌暁までには最後尾も渡り、対岸に上陸を終ったようである。この結末は映画でご承知の通りであった(BC一二二〇年)
 息を殺して、追撃全軍が海の藻屑と消え去ったのをみつめていたイスラエルの全衆。
 だれやら「ハレルヤー」と神を讃める叫び声をあげれば、傍にいた男が「イヤサガ、イヤサガ、イヤサガ、サッサーイ」とつけ加えた。

=エホバは大いなり エホバは大いなり 大いなるエホバは悪魔を掃滅せり=

そうなると群衆は「ヤッショ ワッショ ワッショ ワッショ」と叫び狂った。

=救い給え しかして彼必ず救い給わん。するとモーゼは謡い出した。「我エホバを歌い讃めん。
彼は高らかに高く在すなり、彼は馬とその乗手をば海に投げ打ち給えり、彼はわが神なり、我これを讃えん。
彼は我が父の神なり。我これを崇めん」
 これをきいた群集は、「ヨヤセー ヨヤセー ヨヤセノヨヤセー」=彼は讃むべき哉 彼は讃むべき哉
「ヤーアレ ヤーアレ ヤーアレ」とはやし立てた。=ヤーレヤエレ=進み給え、エホバ我が神よ。
 そこへアロンの姉、預言者ミリアムの歌が飛び出したのである。
「ササ ヤートコセ ヨイヤナ アーリヤリヤコレワイセ コノナンテモセー」
 これが伊勢音頭のハヤシとして、今に伝わってきている。
 ミリアムはタンバリン(鈴鼓)をとって、打ち振りつつ、かく歌ったところ、彼女に従って女たちは、
声を合わせて歌い、かつ踊った。
○「ナーギャアド ヤハーラ ヤゥ
○ナギアツアド ナサリ レーヌ サラリィ
○ナーギアツアド ヤーハラ ヤゥ」
○=民の指導者をしてエホバを讃美せしめよ
○=民の指導者は我らの為に我仇敵を撃退せり
○=民の指導者をしてエホバを讃美せしめん哉

 鼓をもってエホバを祟むる女たちの間に、太鼓をもった男たちが割り込んできて、二重三重の輪を描いて「ナーギアード ヤハーラ ヤゥ」を繰り返し、ドンスコドンスコドン・ドドカカドン」と太鼓を打ち鳴らして踊るのであった。
 これが東北民謡盆踊歌「ナギアド・ヤラ」として、一戸から八戸地方にそのまま現在残っているヘブル詩歌である。
 さて、どうしてイスラエルのヘブル詩歌が日本で歌われ、今にいたるまで歌い継がれているのであろうか。
話はまた聖書にもどらなければならない。
 前述、紅海の奇蹟的神助を得てから四十年のアラビヤの荒野における訓練を経て、イスラエル十二民族は今度はヨシヤにひきいられて、ふたたび紅海のときのごとく、流るる河水をせきとめられて、水の枯れたヨルダンの河底を渡り、乳と蜜の流れる地、カナンに攻め入り、カナン人、ヘテ人、ヒビ人(蝦夷)、ベリジ人、ギルガシ人、アモリ人、エブス人等を追放平定してイスラエル国家の建設にかかった。
 やがてダビデ大王がユダ族から挙げられてイスラエル統一王国を築いた。BC一〇〇〇年ごろである。
その子ソロモンはソロモンの栄華とうたわれた時代を現出して、イスラエル全盛期をかざり、シオンの丘には大神殿が建立せられ、モーゼの十戒の石板は神輿に納められて至聖所に安置され、一オメルのマナを納めた金の壷や、アロンの杖等その他の神宝は宝蔵に格納されたのであった。しかるにソロモンの没後、BC九三一年、王国は南北朝に分裂し、北朝はBC七二二年アッシリヤに、南朝はBC536年バビロニヤに亡されるような状態に顛落してくるのである。
 南朝は正統ダビデ王統の直系が王位を継承していたのであるが、この危機において愛国の予言者イザヤがおった。
 アブラハム・イサク・ヤコブへの神の約束即ちその子孫の国の不滅と、ダビデへの約束その正系の永続とは、反古にされることはできない。しかし、現前イスラエル南北朝ともども、正に亡びなんとしているのである。
 イザヤは予言したのである。
「邦土ことごとく荒地となりー人々遠方に移されー残れる者あれど呑みつくされん。されど聖き裔のこりて、この地の根となるべし。かのテレヒントまたは橿樹が切らるることありとも、その根の残るが如し」
「乙女妊みて子を生まん。その名をイムマヌエルと名つくべし」
(神我らと偕に在すの義)「エッサイの株より一つの芽出て、その根より一つの枝はえて実を結はん。その上にエホバの霊止まらん。これ智慧、聰明の霊、謀略才能の霊、智慧の霊、エホバをおそるるの霊なり」
「この故に汝ら東にてエホバを崇め、海の島島にてイスラエルの神エホバの御名を崇むべし」云々というのである。
 川守田博士の推定によると、エジプトから帰ってきたイスラエルに追われたカナン先住民は、もともと通商に長じていたので当方との交通があり、支那を知り、その東の海の中に処女地日本土のあることを知って、ぞくぞくとしてここに移住していた模様であるが、国家建設はしていなかったようである。
イザヤはこのことを知っていたにちがいない。
 BC七一二年頃か、イザヤは齢六〇前後、愛国党の一団をひきいて東に向ったものとみられる。聖書には、その後のイザヤの消息ははったりと消えている。
 カナンの地エルサレムから東への道は、日の出を逐って砂漠を越え、イラクのバクダード、イランのテヘランを通りアフガニスタンに差しかかる。東北に迂回してサマルカンド、タシケントから天山北路または南路を通り、内外蒙古をぬけて満州に入り、朝鮮を経て日本に渡るもの。北印度からカシミヤをへて支那中原に入り、東南海岸に出て日本に向うもの。
 山陰、九州は上陸地点となる。 大和朝廷神武天皇は、イザヤと共に日本にその活路を求めてやってきたダビデ王の正系、イムマヌエル皇子より五代目に当る主権者であるという。
 神武天皇の幼名は若三毛入野尊(壮丁にして神に似たる御方)立太子名は狭野之尊(我らの皇子)即位にあたり磐余日子之尊(エホバの霊我に臨む)という意のヘブル語に当る。

格子造りに御神灯上げて
兄貴や家かと姐御に問えば
兄貴や二階で木遣りの稽古
音頭とるのはアリャうちの人
(1)エンヤラサノサ
=われらは主権者狭野之尊を推戴し奉らん
(2)ヨーイサ ヨーイヤサ
=主権者に栄光あらんことを、エホバよ主権者に栄光あらしめよ。
(3)エンヤラヤレコノセ
=我らは伊波礼日子を主脳者に推戴せん
(4)サノセー ハレハモセー
=主脳者を崇めよ、仰ぎ奉れ、メサヤをば
(5)エンヤラサ
=我らをして主権者を推戴せしめよ。
 これは神武天皇御即位の歌としてヘブル語で歌われたものが、木遣音頭のハヤシとして残ったものである。
 さて、神武天皇の時代は古代ヘブル語と、古代ヤマト言葉と並行して使用された時代と推定する。
 狭野之尊の太子名を伊波礼と改名されたことは、早馬使をもって全国に遣わし、天下に布告せねばならぬ
 重大事件であったと推察される。
 この至急伝達官は早馬を飛ばして部落に到着し、群衆を集めてその前に立ち
○抑々(ソモソモ)と大声に叫ぶ
 これはヘブル語のシャマーシャマー(汝らよく聴け)という意味である。
○使者は会衆の前で布告文を書いた巻物をおし戴いて啓く(拝啓である)。
○ノブレバーとまた叫ぶ。会衆は固唾をのんで傾聴する。=ノブは述ぶである。レバーは肝腎なる
使命、意志、裁断、御意。ゆえにこれは「聖旨を代って伝達する」という意味である。
○ヤーレ コノ エン ヤーラー ヤーエ
○ヤーレ コラサノ エン ヤーラ ヤーエ
と宣言する。通訳が立って、
「今上天皇はエホバを信奉せられるので、狭野之尊の御名をば、今後、伊波礼日子と御改名遊ばされた」
と取り次いで大衆にしらせる。
○=伊波礼と御改名遊ばされし所以は、彼エホバを礼賛すればな り。
○=伊波礼とサノの尊の名乗りしは、彼エホバの神を讃えればな り。というわけになる。
 伝達官は、
○シルセ と命ずる(記せである)
 =シイル、セイエ「汝ら歌を歌え」の意即ち歌にして記憶せよということである。
 伝達官に随伴してきた唱歌指導員は、
「ヤーレコノエンヤラヤエ ヤーレコラサノエーンヤラヤエ」(仙台地固め唄)と音頭をとって歌を民衆に教え込む。
 これが全国に残っている「建国木遣」や「地固め唄」の縁起である。
 全衆が歌を覚え込んだとみた使者は、
○アナ カシコ と結ぶ
=アナー カシイドコ(恩寵汝らにあらんことを祈る)
○サラバーと言い残して立去らんとする
=サラマー「平安汝らにあれ」と訳す。
 これに対して群集は
○サイナラーと呼ぶのであった。
=サイルニアラーは「汝の行く処、汝の仇人は追払われよ」である。
 川守田氏は、民謡ハヤシ言葉に漠大な数量のヘブル語を発見し、古事記、日本書記にもヘブル語が沢山あるであろうと思って、探してみたら案外寥寥たるもので、
 イザナギ、イザナミ二神の出会の言葉に、日本書記アナニエヤ(エホバは我れに応え給えり)
古事記アナニヤシ(救いの神われに応え給えり)が、あるが、日本書紀雄略天皇の条に「ナヒトヤハマニ」という熟語があって、その下の註に(この古語未だ詳らかならず)と記されてあるが、これも立派なヘブル語で「静粛は我が心をかき乱す」という意味で、美少女が庭を横切って歩く姿をみて発せられたホメ言葉で、「歩く姿は百合の花」くらいの意味でもあろうか。
 神武天皇の歌に、
エエシヤコシヤ=「彼をして結ばせ給え、おお主よ、エホバの御座をば」があるが。その他少々で神武天皇より二、三代後にはヘブル語は神官の他には、一般には死語化したものとみるというのである。
 とにかBC七〇〇年頃イザヤ時代に語られたヘブル語が、日本に残っており、六六〇年の差のある日本紀元肇国の年代とあまりかけはなれてはいないのである。
 エホバの呼び名のヘブル語で、イザヤ時代よりも後のものは、日本に残っていない。即ち入ってきていないとみる。
 いろいろもっと詳しい考証はあるのであるが、川守田氏は大胆にも自分はこう断定するというのである。
○イザナギ、イザナミはイザヤ夫婦であろう。
○天照大神はイザヤの長女にしてウジャ王とヒゼキヤ王の王妃であって予言の皇子イヌマヌエルの生母
○月読之命はイザヤの長子シャルヤシュブ
○須佐之男之命はイザヤの第二子マヘル・シャラル・ハシ・バズ
○天ニギシ国ニギシ天ノオシラミミノ尊はイムマヌエル
○ヒコホノニニギノ尊はイムマヌエルの皇子ニニギはヘブル語でニン、ナギイド「主権者の子」または
ニナギイド「宣言せられたる者主権者として」
○人皇第一代神武天皇はイムマヌエルより五代目の主権者となるというのである。
 東北、北端の民謡ナギアド、ヤラは先住民族を北海道のエゾガ島まで追いまくって、
ここまでやってきたイスラエルの前衛部隊が土着して、道々唄ってきた進軍歌を残したものとみる。つまり先住民はおっても国家形態をなしていなかった日本に、イザヤの率いるイスラエル正統を擁した国粋党の一団が、カナン先住民のあとを追ってここに侵入し、ダビデ王統を移植しエホバ神道を基として日本の肇国をしたというのである。
 くわしいことは原著「日本ヘブル詩歌の研究」日本YMCA同盟出版部発行によって吟味せられんことを希望する。
 記、紀だけを日本の歴史として、古代神代文字で書いた歴史を荒唐無稽と否定する学者は、この川守田氏の説にも頭から反対するであろうが、学問的否定データを持ち合わせていない。
 まだある。
 一九五〇年、英国に亡命していた中国、前燕京大学教授、衛挺生博士は「神武天皇は徐福である」という論文を発表して、英国の東洋史学会に一大センセーションを巻き起こしたが、日本歴史学者はこれにもデータをもって太刀打ちできない。
「徐福 秦の始皇帝の命を受け(BC二一九)日本に不老不死の霊薬を求めて数百人の童男童女を引きつれて渡来したが、富士山麓に住みつき、富士古文書を書き紀州に墓もある。
 その後も秦族はたびたび集団渡来帰化しているが、これがみなユダヤ人であるという。
 神代文字で書いた数々の古代文献を無視した今までの記紀一辺倒の日本歴史は、科学性に乏しいということになる。
 しかしまた文書でなくとも現在伝承しているヘブル詩歌のごとき、ヘブル語源の日本語のごときは、生きている大いなるメモランダムであることには間違いない。古代日本語は、その血液と同様に多数種族の結合であるから、あるものは西蔵語に、
あるものは南洋語にも解読されるのは当然のことであろう。このことはいずれまた後で書く。


一九六二、一二、(医家芸術)(仙台市・開業ー内科・神経科)

 

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新年のことば(2006年)

新年のことば

かれこれ10数年来、毎年この企画に執筆させていただいているが、私自身にとって、この新年の言葉が信念の言葉と重複し、その重みを新たにするのである。これは私自身が操体を学び続けている足跡でもあり想跡でもあり、私自身が私でい続けている私跡でもある。臨床は自然法則の応用貢献である。「からだが治す」「からだが治しをつけてくる」。
その生かされし命の原則が臨床の場で、増々真実味を帯びてくる。からだが診断をつけ、からだが治療をつけてくる。

それは、からだの無意識、生命の無意識の内にある。その事実を目のあたりにすると、臨床に向かう我々の姿勢が問われてくる。からだに聞き分けをもたせ、その要求を、ききとる診断と治療の大切さを強く感じる。昨年の11月、医道の日本社に原稿約600枚分を提出し出版のお願いに上がる。今年は40年の区切りとなる年でもあり、その集大成の想いもあって書き上げてみた。読者の目に触れ、少しでも臨床が生かせる、生きていく手がかり、参考にしていただければ幸いに思う。

(医道の日本誌 2006年新年号掲載)


 

操体法東京研究会定例講習より。介助法

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神代文字(橋本敬三)

神代文字  橋本敬三

(医家芸術昭和三十五年十一月号より)  

 近ごろふと思い出した事。「医芸」誌友の中には、或いは同じ 道楽をやっていられる方もあるのじゃないかと思って、書いてみ る気になったのです。それは神代文字の事です。
 いつか式場兄が、私がこれをやっている事を知って、どこかで目についたからとて、神代文字の研究に関する単行本を送ってくれた事がありました。
 戦前には、日本医事新報の誌友サロンに書いた方もありましたが、戦後は一向見当たりません。私はいつか「呑気者」と題して書いたとおり、二十才前からキリスト教に首をつっこみましたが、旧約聖書を通読し始めたのは、三十才位になってからと思います。
 
 モーゼの五書と言われる、創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記、と読んでゆくうちに、イスラエルの歴史というものに非常な興味を覚えました。
 イスラエル民族の神事、風習と、日本古代のそれと、相似の節々があるように思える。
 日本古代の事は、古事記が最古典とされているが、それより 前に旧事記というのがある由。とにかく日本人であってみれば、先祖の姿を知りたい郷愁は、誰も変わりのない事であろうが、何しろ曖昧模糊としている。
 郷愁を感じながら、旧約を読んでいるうち、地下の鉱脈で、どこかイスラエルと日本とが連絡があるような気がしてはならない。そのうち、連絡があるのだという説を称える人々にブツかった。小谷部全一郎?酒井勝軍などという人々です。そんなこんなしているうち、思わぬ方面から日本古代、漢字渡来前に、文字があったという事を知った。そしてそれが神代文字といわれている。これで書いた古代の歴史がある事もわかった。映画十戒でおなじみの事と思いますが、モーゼに導かれて、エジプトでの奴隷の境遇から逃がれて故国に向かった民族がイスラエル民族であって、これに十二の支族があるのです。モーゼはビスガの山上から、故国の山河を眺めながら、そこに入らずに死にましたが、同族はヨシアにひきいられて「乳と蜜の流れる地」というカナンの地に入って定着しました。
 ここはイスラエルの先祖、アブラハムに、神が約束して与えた土地であり、ここでその子孫は繁栄し、やがて世界を統一するという神勅を得ているところなのです。地中海の東岸、ヨルダン川の西です。ここにイスラエル全氏族は、一度は定着したのですが、不信仰の神罰に当たった故か、十二支族のうち十族はバラバラになって行衛不明になってしまい、ユダとベニヤミンという二族だけが残りました。
 このユダがいわゆるユダヤ族なのです。これがキリストの頃までそこにいたのですが、キリストを十字架につけて後、これまた神罰か、流難の運命となり、故国をはなれてしまい、そのあとをアラブ民族に占有されてきたわけです。
 前にも書いたように、ここカナンの地は、イスラエルにとっては神からの約束の地です。
 
 世界中に散り散りになったユダヤ人の悲願は、なんとかして ここに復帰したい。
 そして、自分らは神の選民だという意識が強く、居住する国 の国民と融合しない。そこにいろいろな複雑怪奇な問題がからんでくるようになり、到るところで排斥されたり、しばしば虐殺されたりした。そのようにしていわゆるユダヤ問題が起こっ てきたのです。どういうものか、世界中に流離しているとはい えども、ユダヤ人の中からは世界的に一流の人々が輩出しています。風あたりも強いが、実力は益々増加するばかりです。

 ユダヤ議定書という怪文書があらわれました。某時某所に、 ユダヤの賢人たちがあつまって、ユダヤ国再建、世界制覇の方 針を審議決定したときの記録だというのです。真偽のほどは不明ですが、実に面白い、また肌寒いような恐ろしさを感じる文 書です。

 ユダヤ人が異邦人(自分たち以外の民族)を制するには、各国 の王冠を一つ一つたたきこわさなければならない。そのためには各国民の愛国心を覆さなければならない。自由、博愛、平等というような旗を与えて、それを打ち振り乱舞する大衆を養 成しなければならない。(博愛を平和、平等を民主と現代語に 翻訳してみるとよい)
 彼らの精神を堕落させるためには、三S政策でいこう。奢侈を煽り、財布をはたかせるには、デパートを発達させ、その購買欲を旺盛にしなければならない。
 彼らの喉笛を締め上げるためには、社会の経済を自分らの手 に納めなければならない。銀行に金を集めよう。
 彼らをこちらの思う壺にひきずりこむには、洗脳が必要である。それには、白を黒とも自由に思いこませるために、言論界を 制しよう。
 唯物思想で彼らを引きずっていこう。 こんな事が堂々と記録されている。少なくとも五、六十年前 に書かれている。
 その後帝政ロシアの王冠をたたき落として、ソビエト革命を なしとげた主力は、レーニンを指導者とするアメリカから渡った多数のユダヤ人たちでした。

 マルクスももちろんユダヤ人です。アメリカ西欧各国の陣営で も、政、経、文、それに科学界でも一流所にはユダヤ人がズラリと並んでいる事実があります。第一次大戦後、元のユダヤの地にイスラエル国家がとうとう再現しました。スエズ事件の時 には、クローズアップしましたね。議定書が予定した赤色の旗の下に狂気乱舞する群盲。三Sがリードする煩悩に己を忘れて狂気乱舞する全異邦人の姿を、我々は今、どこに見出しているのであろうか。懍然たるをおぼえる。

 戦前はこのユダヤ研究も一部では騒がれ、軍部からも研究者 が出たり、民間にも研究機関誌も存在したことがあったが、戦後占領下では消えてしまっていました。
 つい最近、ナチス残党とユダヤ人排斥の落書き事件がちょっと紙上に見えましたが、今度はまたアルゼンチンでナチのユダヤ人虐殺のアイヒマンがみつけられ、イスラエルに連行されて問題をおこしています。戦争のため私は四十台をほとんど国外で送ってしまい、二十三年にソ連から還ってきたのですが、留守中にユダヤ問題や神代文字の本は、それこそ一冊も残っていませんでした。

 それから十数年、私は身辺が忙がしく、また職分の仕事にも 燃え立ち、夢中で暮らしてしまいました。道楽も忘れていたというわけでしょう。
 先だって、同窓会名簿を送られてみたら、同期の40%以上が亡くなっています。 医者の仕事の外にも、若い時からしてみたいと思っていた道楽 も、仕つくしてからというファイトがる、勃然と湧き上がって来るのをどうすることもできません。

 古代日本への郷愁。だから安田徳太郎博士の大業「人間の歴 史」中、日本人の起源には全く感激させられます。氏が指さす 世界の高天原、ヒマラヤへも心が引かれます。それとは径路は異なりますが、神代文字とそれで書いた歴史も手繰ってみた い。
 いつぞや式場兄から贈られた本には、鎌倉の鶴ヶ岡八幡の事、 霞ヶ浦鹿島神宮の事、函館八幡の事なんか書いてあったように思う。
 当地方では岩沼の竹駒神社、松島湾の塩釜神社の御神符には神代文字が書いてある。塩釜さんのは神代アヒル文字で、シホカマノオホカミと明らかに記されています。
 神代文字には幾種類もありますが、皆五十音カナ文字です。 二十幾種かあつめた一覧表ももっていたのでしたが、今は失くしてしまいました。
 戦前、医家で日本神代文字と、エジプト古代文字の相似についての研究や、ピラミッドはヒラミツトノであり、太陽神の拝殿になっているのだ、規模は小さいが同型のものは日本にもいくつかある、などと発表された方もあります。
 とにかく、古事記以前にあったという神代文字で書いた日本歴史があるというのだから愉快です。
 私のもっていた大友文献は、あちらでいわゆる共産主義者が台頭してきて、うるさくなった時、ペチカに放り込んで焼いてしまったのですが、それによると、大和朝廷・神武天皇以前にウガヤフキアヘズ朝廷というのが数十代かあり、太平洋沿岸を巡幸した天皇が東北の八戸港あたりから帰還上陸された記事などあります。
 この文献は抄本ですが、原本らか写されたのは徳川初期のようで、肥前守藤原朝臣・・(?)とかの著で、とにかく九州か ら出たものです。
 茨城県磯原は有名な竹内文献の本拠で、今でも竹内宿禰の末孫と称する人がその文献と宝物をもって現存している筈です。
 戦前は軍部もしきりに気にして、出入りしていたようでした
し、上海のエズラ(ユダヤ財閥)が三種の神器を買いに来た、 などという噂もききました。イスラエル十二氏族中十族が離散、行衛不明になった時には、イスラエル神殿にあった三種の神器も、羽が生えて、どこかに飛び去ってしまって、行衛不明になったと旧約聖書には書いてあります。
 岩手県福岡には元神官で、小俣内樺之介という学者がおられて、なんでも秋田方面で物部文献を発見されたかとかきいてい ますが、未だお尋ねする機会がなくております。
 私は大友文献の外に、竹内文献抄も一時持っていました。 富山県の某代議士(故人)の発行したかなり部厚な本でしたが どうも耄碌(もうろく)したので、書名も著者も発行所もまったく記憶にないのです。しかし、これにも、とてつもなく面白いことが書いてあります。
 日本朝廷は悠久百代にわたり、その間、地球上には度々地殻の変動があり、地上は泥の海と化し、わずかに生き残った人類が、次々と文化を再現してゆく事などが書かれてあります。 日本から世界各地に統治官を送った地名も記録されています。 それが今の地名とほとんど同じような呼称です。

 そうかと思うと、世界地図があったり、(もちろん、精密なものではない)日本国旗に旭日旗があったりする。ちょっと眉唾もので、少なくとも明治以後の知識をもって偽造しなければできないよ
うな事が書かれてあります。
 私はまだ原本はまだみた事がないが、ウソだときめてかからずに ウソならウソを証明しなくてはらないと思います。
 とにかく、原典は一ヶ所から出ないで、あちこちで発見されています。
 書いてあることも大体同じような事があります。掘ってみたいですね。
 現代に連らなるユダヤ問題は、社会や政治に関する現実生まの問題ですから、直接タッチするのは遠慮したいと思っていますが、神代文字だけはなんとか格好をつけて次代に受け継いでもらいたいと思います。
 誌友のうち、同志の方はどうぞお互いにご連絡下さい。そして、ずっとやっておられた方があったら、是非名乗り出て、リーダーシップを取って頂きたい。
 戦災に会わない地方の図書館には、少なくとも何かあるはずだと思います。山蔭地方からも何か発見されていいと思っております。
(医家芸術三十五年十一月号より)

橋本家墓石に掘られている文様

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健康に関する五つの場 

女子体育

生きる力を育む体育・スポーツ・ダンスゲーム・球技で生きる力を育む
JAPAN ASSOCIATION OF PHYSICAL EDUCATION FOR WOMEN 9月号
連載 表現講座より
 
-生かされているイノチ-
人体構造運動力学研究所
三浦 寛
 
 
 仏教の教えに『ヒトは生まれながらにして、四百四病のキャリアをもって生まれてくる』というのがある。四百四病とはいかなる病気を示しているのか興味深いところであるけれど、現代を生き抜く私達にとって、これらのキャリアがいつ発症してもおかしくない状況に不安をいだいて生きている。
 
 私達は、そもそも発病しないで済むすべをまったく知らないでこの命を使わせていただいていることに無関心ではいられない。現代医学は直接生命(イノチ)にかかわる疾病に対して研究開発にいとまがないが、医学の基本である健康人が病気にならないためにはどうしたらよいのか、という未病(ミビョウ)医学には盲目的である。現代医学はまさに治療医学であって、これらのキャリアが発症、発病してからの医学なのである。これでは困るのだ。でも現実はそのとおりであり、まさに自分の健康は自分で守る以外になさそうだ。寿命が延びたと云ってただ喜んでばかりもいられない。人間らしく生きていけない、人間らしく死んでいけない時代なのに寿命だけが延びている。今、人の生き方が問われている。一人ひとりが自立する時代を迎えている。生きていくことは楽じゃないが無関心でもいられない。でも希望はもてる。現代人は何に無関心なのだろう、自分が生きていること、生きること、その命(イノチ)に対して無関心で無知なのだろうか、若い人達から「生かされている」と言う言葉を耳にする機会が少なくなったと思う。それは、自分の命、人の命、自分の存在、生きること、生かされていることの尊さが人の心から薄れているのではないだろうか、その分自己に自らを問いかける、自己の内面との会話が希薄になっていないだろうか、それは生きることにおいての自分学、人間学の問題に継がっている。生きることは大変なことで楽ではないが私は生きる事とは他力じゃないかと思います。つまり、「私の命は私自身にある、だからこそ生き抜いていくんだ」と言う自己なる意識を「生かされて生きているイノチ」という風に変えてみると、生き方が、生きていることがやさしく穏やかで、何か温(あ)ったかく見守られて生きている、という自覚が沸いてくる。自分がいとおしい存在に思え、人にもやさしくなれる。言葉が変わり意識が変わっている自分に気づく。生かされているいることの意味は、見返りを求めることなく無条件にこのイノチを生かしてくれている存在の意で、「元々ある、自在している。生かされているイノチ」という思念の世界を学ばせていただいたのは、昔大仏寺(後の永平寺)を開いた道元(ドウゲン)禅師と操体法の創始者、橋本敬三医師である。道元禅師の教えに、「鳥の命は鳥にあらづ空にあり、魚の命は魚にあらづ水にある」という名訓が残されている。これは、「生あるものの命というのは、この命を生かしてくれているものの存在にこそ、その命の本質があるのだよ」という教えです。そして、この命の本質は有り難く無条件に与えられている、一斉何一つたりとて見返りを求めず、ということですから、「ご縁をいただいて存在しているこの命を十分に味わって生(い)きることを楽しみなさい」という意味でもあるのです。仏様(ほとけさま)も「人生多いに苦しみなさい」とは言ってはおらず、「人生を多いに楽しみなさい」と言われるのです。このように、生かされているイノチであって、生かされるべき命の本質が無条件に与えられていることは、まさに、あの世に浄土があるのではなく、この世が極楽浄土なのだ」という世界観が存在する。医師橋本敬三は「この世は人間の摂理(セツリ)「で成り立って動いているのでじはない、自然の摂理で成り立ち運行されている宇宙生命感である」と、説き、無条件に有難く生かされているイノチとは、絶対の救いが貫(ツラ)ぬかれている命である、己れの人生に不平・不満を言わず有難く感謝して歓びと感動をもって生きよ」と言われるのだ。永遠の命と云うのは、命の本質があるということで、それはこのイノチを生かしつづけてくれている存在を意味する。人間が定めた摂理は時代の背景、動向によって大きく変化するものだが、大自然の摂理は絶対不変である。この摂理(法則)に委ね従う生き方の中に、ヒトが生きるという真の姿があり、至福が与えられているのではないか、イノチあるものの本質を探っていくと、必ずある方向性をもっていることに気づくのです。生命現象(イノチの営み)には必ず波動(運動性)がともないます。その波動はイノチのバランス、調和という働きかけであり、それは必ず快の方向に従うというイノチの法則、摂理がつらぬかれている、と云うことなのです。
 
 そこで、私達は日々絶やすことなくイノチの営みを繰り返していますが、その中で他人にとって変わってもらえぬ責任生活があります。それはヒトが生まれて死を迎える瞬間まで営なまれる自己の責任生活を意味するもので自己最小限責任生活必須条件と呼んでいます。具体的に説明しますと、私達は環境(自然、人為、社会環境)の中で自己責任生活として、息(ソク:呼吸)、食(ショク:飲食)、動(ドウ:身体運動)、想(ソウ:精神活動)の四つの営みを繰り返しているのです。この四つの営みを生命エネルギーの入・出力といい、このバランスを生命力学のバランスといいます。ここで重要なのは、環境とこの四つの営みが個々単独に独立して存在するのではなく、これらが同時相関し、相補しあい連動している存在なのです。さらに、これらの営みには、生かされるべき快の方向性(自然の法則)が自在してあるということで、自在してあるとは自己の意思によって自由にコントロールできる、つまり自律可能ということなのですから生きている限り自己の責任がともないますよと云うことなのです。このことは、創造的人間性を保つ役割と心身の調和をはかり自分らしさを保つ秘訣なのです。イノチある存在にとってこの環境とは宇宙規模(キボ)の観点から考えてみる必要があります。私達のイノチにとって地球はそのイノチの母体としてとらえてみることです。私達のイノチも地球という一つの生命体から発祥した命であることを忘れてはならないのです。環境にやさしい、地球にやさしい人になろうというのは、自分のイノチの母体にやさしい人になること、それが人類、私達の幸せに継がることと理解できるのです。生かされているイノチとはこのことで、それに気づけば、一人ひとりの命がとても重く尊いのです。自分勝手に粗末に使ってはならないイノチであって、有り難く感謝して使わせていただくイノチなのです。愛と歓びと感動をもって味わう人生、イノチとは愛と感動(快の方向性)に向く、それがイノチあるもののより正しい方向性なのです。
 
 次に食・息の快の方向性(自然法則)について話してみます。一生の人生の中で息と食の重要性は計り知れぬエネルギーそのものという感がします。どちらがより重要であるかを問題とすべきではなく、生命現象を営むために、重要不可欠な生命エネルギーには変わりないのです。私自身、診療を続けながら一週間水だけで絶食した経験があります。人間は一週間、十日位は何も食べなくても生きていけるものなのだなア、という実感を得ましたが、呼吸だけはそう悠長(ユウチョウ)なことは言っておれない。三分間、息を止めているだけで絶命してしまうイノチなのだから無意識に呼吸しつづけていられることがなんて有難いことなのだろうと感動してしまう。食については、カロリーによって食のバランス、栄養のバランスを考えがちであるけれど、歯の種類と本数の割合で食のバランスを考えてみます。歯の総本数は二十八本、その内、前歯八本は野菜類、犬歯四本は肉類、小臼歯大臼歯十六本は雑穀海草、果顆類を噛みくだく歯になっているのです。食のバランスにとって重要なことは、肉食する歯の本数が総本数の七分の一ということなのです。動物食と植物食のバランスは一対七、歯の本数からみた割合では肉食一に対して野菜はその二倍、雑穀類は、その四倍ということになります。これが食の自然法則、生かされし快の方向性なのです。息についてはどうでしょうか。自然体(健康体)では、深くて長い腹式の呼吸になっているようです。これは、健康体にあって、からだが無意識につけてくる呼吸です。逆に、心身がストレスの状態にあったり、内科的に内臓臓器器官が器質的に破壊された状況にある場合には、浅く短い呼吸をつけてくるようです。これも、からだが必要あって無意識につけてくる呼吸なのです。心身が病んでいるということは、からだは呼吸を浅く短くつけてイノチのバランスを保ってくれているのです。これが息にみる生かされし快の方向性です。最後に動(ドウ:身体運動)ですが、からだには構造(ツクリ)があって、それが動くのですから、この機動するシステムには構造と規格があるのです。それは、合理的で能率的な、からだの使い方と、動かし方を示すもので、それを重心安定の法則、重心移動の法則と言います。重心安定の法則とは、腰を要(カナメ)としたからだの使い方で、手を使う場合は小指側を運動力点とし、足は親趾(オヤユビ)側に支点をかけることが条件になります。重心移動の法則は、からだの動かし方のルールで、立位でからだを捻る時は、捻る側の足に体重をかけ、横に倒す時は倒す反対側の足に体重をかけます。前屈の際はお尻を後(ウシロ)に引き、後屈の際は、腰を前に出す。以上のように、からだの使い方、動かし方にも生かされし快の方向性(自然法則)があるのです。また、からだのバランスの制御法は、快適感、快感覚を味わえdrる動きを生体(カラダ)にフィードバックすれば歪(ユガ)みが修復され、正しい状態に制御できるように有難くできているのです。(所長)
 
 
伊勢 おかげ横丁にて
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